昔からある二刀流の歴史

打者

野球で二刀流というと普通は投手と打者の両方をやる選手のことを言います。プロ野球の選手になるような人は高校でエースで四番だったという人が多く、投手であっても元々打撃に優れている選手はたくさんいます。

プロ野球の歴史を見ますと戦前など初期の時代は、そのチームのエースが投手として登板しない時には野手として打線の中心に入ったりしていました。当時は今と違って各球団の人数が少なかったこともありますが、そのように起用されるのがごく普通でした。逆に、本来は外野手の選手が投手不足を補うために登板したところ、ノーヒットノーランの記録を作ったこともあります。

昭和三十年から四十年代になりますと、各球団とも選手層が厚くなりまして打力のある投手でも野手として出場することが見られなくなりました。しかし当時は投手もすべて打席に入りますから、打順が回ってくると長打を発揮した人も多く、例えば通算で36本も本塁打を打った投手は時々代打としても起用されましたし、中には投げてはノーヒットノーラン、打っては自分で3本のホームランという記録を作った投手もいました。

その後いわゆる二刀流の選手はいなくなっていましたが、最近それに挑戦する投手が現われ実際に結果を残しているのが画期的な出来事です。その登場によって、今後二刀流を目指す選手も増えてくると考えられます。