大阪近鉄バファローズの歴史

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プロ野球の歴史で消滅した球団はいくつかありますが、最も記憶に新しいのが大阪近鉄バファローズと言えるでしょう。大阪近鉄バファローズは1949年に創立された球団で、2004年までパ・リーグに在籍していました。設立当初となる1950年代~1960年代半ば頃の期間では最下位やBクラスに甘んじることが多く、「地下鉄球団」という屈辱的なネーミングを付けられた時期もありました。しかし、1970年代後半になるとAクラス入りすることも徐々に増え、1979年と1980年には二年連続でリーグ制覇の偉業をなしています。

ちなみに、1980年には年間チーム本塁打239本の当時のプロ野球記録を樹立し、「いてまえ打線」という愛称を手に入れます。1979年~1980年のチャーリー・マニエル、1989年~1994年頃のラルフ・ブライアント、1998年~2001年頃のタフィー・ローズ、中村紀洋などの大型ホームランバッターを輩出し、球場を大いに賑わせた経緯をもちます。このように、大阪近鉄バファローズは、ホームランの醍醐味を最も味あわせてくれた球団の1つと言っても過言ではありません。

しかし、2004年に経営難を理由に、オリックス・ブルーウェーブに合併される形で球団は消滅してしまいます。